「鮨」(阿川弘之)

で、そこで思考が飛んでいってしまうのです

「鮨」(阿川弘之)
(「日本文学100年の名作第8巻」)
 新潮文庫

上野に帰る車中で、
「彼」はいただいた
折り詰めの鮨の扱いに困惑する。
到着後、
夕食の約束があったからだ。
しかし「彼」は食い気に負け、
一つだけ口に入れてしまう。
残った分の処置をどうするか、
「彼」は車中で
空想をめぐらせる…。

不要なものなら捨てるべし。
本とCD以外は折に触れて
断捨離を決行している私ですが、
こと「食べ物」(腐ったものではなく
まだ食べられるもの)となると、
捨てるのに躊躇してしまいます。
1960年代生まれの私ですら
そうなのですから、
ましてや本作品の「彼」
(1920年代生まれと考えられる)なら、
なおさらでしょう。
食べるに食べられず、
捨てるに捨てられず、
彼は思案(というよりも
ほとんど苦悩)してしまうのです。
本作品の味わい方は、この「彼」の
思考過程を楽しむことでしょう。

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「彼」はいたって生真面目で
小心者なのでしょう。
考えなくてもいいところまで
考えているのです。
・残りを食べて腹を満たす
 →先方に失礼。
・家に持ち帰る
 →迷惑がられる。
・一つだけ食べたことを反省する。
・デッキの屑入れに捨てる
 →「やっちゃいかん」。
・上野駅の浮浪者に渡す
 →蔑む気持ちがなければいいのでは。

で、そこで思考が
飛んでいってしまうのです。
「彼」は浮浪者について
あれこれ空想をめぐらせます。
・浮浪者の中に空手の有段者がいた
・なぜ彼等は働かないのか?
・「彼等は真の自由を手にしている」と
 言った知人のこと
・「絶対の自由」とは何か?
・気づかぬうちに
 自らも「制約」を受けている事実。
と、このように次から次へと
思考は展開・変遷していきます。

「彼」は残った鮨を
浮浪者にあげる決意をするのですが、
相手の反応について
あれこれ想像をたくましくするのです。
・「一緒に一杯やれ」と
 酒飲みに付き合わされるかも
・卑下したと受け取られ
 浮浪者集団に囲まれるかも
さらにそこから「彼」は故郷の
「一人相撲」という神事について
思考を広げていきます。

こうした「飛ぶ思考」は、
実は私たちも日常の中で
無意識に行っていることではないかと
思います。
「彼」もそのおかげで車中をそれなりに
退屈せずに過ごしています。
そしてこの思考の広がり加減は、
ヴァージニア・ウルフ
「壁の染み」「キュー植物園」
連想させます。
読み手は純粋にその思考過程を
味わうのが正しい読み方なのでしょう。

最後の場面では、
「彼」はそれを決行します。
ところが「彼」が接した浮浪者は、
「彼」が予想だにしない
珍妙な行動をとります。
そこからまた「彼」は考え、
そして読み手も
考えざるを得なくなるのです。

本作品の発表は1992年。
戦後もすでに遠くなり、
食べ物を粗末にできない自分は
時代遅れかと思っていたら、
過去の残滓のような人間と
遭遇してしまった「彼」。
最後の一ひねりが絶妙です。
阿川弘之の底光りするような逸品、
ぜひご賞味あれ。

※本作品は新潮社刊
 「鮨 そのほか」(阿川弘之)でも
 読むことができます。

〔本書収録作品一覧〕
1984|極楽まくらおとし図 深沢七郎
1984|美しい夏 佐藤泰志
1985|半日の放浪 高井有一
1986|薄情くじら 田辺聖子
1987|慶安御前試合 隆慶一郎
1989|力道山の弟 宮本輝
1989|出口 尾辻克彦
1990|掌のなかの海 開高健
1990|ひよこの眼 山田詠美
1991|白いメリーさん 中島らも
1992| 阿川弘之
1993|夏草 大城立裕
1993|神無月 宮部みゆき
1993|ものがたり 北村薫

(2022.4.28)

mohamed HassanによるPixabayからの画像

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